Book of days

 

このコーナーでは、Book of days(日々の雑記)として日々感じたことや以前に雑誌などで掲載したエッセイなどを紹介していきますね。

 

☆以下は「星空ロック」の創作背景となったエッセイです。コロナでかなり不自由な時代となった「今」あれこれ思い返して再掲載しますね。なお、このエッセイで触れたウド・リンデンベルクの歌の歌詞を紹介させてもらいました。記してお礼を申し上げます。

ベルリン熊に捧げるバラード                                                                                       

 ベルリンは、チェコの国境を源にするシュプレー川畔に発達した都市である。橋の数ならヴェニスよりも多い。市の中心をとりまくように運河が流れ、夏季は遊覧船が行き来する。僕はこの遊覧船に乗るのが好きで、ときどき小さな船旅を楽しんでいる。デッキの上で一時間ほど風に吹かれ、それからたいていメルキッシェス岸で途中下船するのである。

 対岸には、映画『グッバイ・レーニン』でおなじみになった旧東ドイツ時代の象徴ともいうべきアレクサンダー広場のテレビ塔が、七十年代にはもてはやされたであろうアパート群の隣にぽっかりと浮かんで見える。その岸辺から石畳の小道に出ると、くすんだ赤さび色の古びた建物がある。メルキッシエ美術館だ。ケルニッシェ公園は、その美術館の裏手にある。緑の芝生がただ鮮やかなだけで、近所の老人たちがぶらりとやってきて日向ぼっこしているような、どこにでもあるこじんまりした公園である。この一角にベーレン・ツヴィンガーと呼ばれる施設がなければ、ガイドブックにも載ることもなかったにちがいない。ドイツ語でベーレンは熊のことで、ツヴィンガーは檻という意味だが、要塞や砦のこともさす。このツヴィンガーは、レンガ造りの小さな熊舎と事務所の建物を中心に堀をめぐらせた二つの円形広場があり、檻というより砦のほうに近い感じがするので、僕は「熊砦」と呼んでいる。

 今(当時)、ここにシュヌッテとマッキシー、ティロという三頭の熊が住んでいる。ただ公開時間でも熊舎で昼寝をしたりしているので、三頭いっぺんに会うのはなかなか難しい。たまに三頭に会えると「今日はラッキーだった」ということになる。ちょっとした運試しでもある。三頭はいずれもヨーロッパの動物園ならたいていどこにでもいるヒグマだが、じつはただの熊ではない。彼らこそ正しき「ベルリン熊」なのである。とくにオスのティロは、四代目ベルリン市代表熊にも選ばれている。

 ベルリンのシンボルは熊だ。市の紋章に初めて登場したのは一二八〇年というからその歴史はきわめて古い。それ以降、今に至るまで(ベルリン映画祭のグランプリを「金熊賞」というぐらいだしね)、熊は旗やレリーフ、あるいは銅像となって市民に愛され続けてきた。だが生きている熊が、ベルリン熊として登場するのは一九三九年になってからである。

 ベルリンの生誕七百年祭にあたって、ひとりの男が、自分たち市民への誕生プレゼントに生きた本物の熊がほしいと市長に宛てて手紙を書き、ベルリンの新聞BZ紙で公開した。これに多くの市民が賛同する。そしてBZ紙が中心になって、87000マルクもの募金を集め、それを基礎資金に熊砦を完成させ、さらにベルリン市とスイスの友好都市ベルンから援助も受けて、三九年の八月一七日にはロッテ、ユーレ、ウルス、ヴェルニの四頭が初代「ベルリン熊」として市民に披露されるのである。

「ようこそ、われらの熊ちゃん!」 市の新しい顔を、熱烈歓迎する市民たちの写真が、当時のBZ紙に踊っている。

 だが「ベルリン熊」たちの幸せは長く続かなかった。そのわずか二週間後に、ナチス率いるドイツ軍はポーランドに侵攻し、第二次大戦が始まるからだ。

 そのあとの熊たちを襲った運命は悲惨である。熊たちは、市民たちの献身的な努力で餓死もせず、ベルリン大空襲を奇跡的に生き延びたものの、戦後まもなく起きた市民暴動の犠牲になって崩れた砦の瓦礫の下から遺体となって掘り起こされる。その後、熊砦はしばらく閉鎖され、四九年の十一月に、ナンテとイエテの二頭の熊が、砦の新しい住人になったときは、東ベルリンの熊としてであった。

 それから、壁の建築と崩壊、ドイツの再統一というベルリンが辿る人類史を語る上でもきわめて数奇な時間が、熊たちの上にも通り過ぎていった。もちろん熊たちにとって人間の歴史なんて、はっきりいってどうでもよかったろう。ただ迷惑なだけで……。

 でも、人間である僕は、どうしてもそこに思いをはせずにはいられないのだ。歴史というのは必然である。そしてその過去の延長線の上に、今の僕もいるのだから。

 夏草が匂う物憂げな昼下がり―――、堀のむこうでティロがもそもそとリンゴをかじっている。ウド・リンデンベルクの歌う少し昔に流行ったバラードが、ふと脳裏によぎって、僕は読みかけの本を置く。

まだ東西の壁があった時代に、東ベルリンに遊びに出かけた西ベルリンの少年はひとりの少女に恋をする。だが、当時のビザは午前零時に失効するのである。少年は帰らなければならない。ちょっと切ない歌だ。

 

 ぼくらはもう少し一緒にいたかっただけなのに……

 

 

 

以下、ウド・リンデンベルクの歌は以下のサイトで聴けます(歌詞カード付)。紹介させていただきますね。

Wir wollen doch einfach nur zusammen sein (Mädchen aus Ost-Berlin)

Text: Udo Lindenberg; Musik: Udo Lindenberg©

「ぼくらはただもう少し一緒にいたかっただけなんだ」(東ベルリンの女の子)

は、以下のサイトで聴けます(歌詞カード付)

https://lyricstranslate.com/ja/udo-lindenberg-wir-wollen-doch-einfach-nur-zusammen-sein-lyrics.html

 

訳詞は拙訳でこんな感じかと、ご参考までに~。

 

想像してごらんよ。 

東ベルリンに来て、とても可愛い女の子に出会ったとする。

ほんと、めちゃくちゃ可愛い子なんだ。

きみは彼女をとっても大切に思い、彼女のほうもきみのことをそう思っている。

となると、あとはもう決まっているだろ?

つまり、きみたちはとにかく一緒にいたいと思うはずだ。

そして、アレクサンダー広場でロックフェスの夢を見るだろう。 

たとえばローリングストーンズやモスクワのバンドが登場するような。

 

ところが気がつけば突然、午後1110分すぎになっているんだ。

すると彼女は言う。「ねー、あなたは遅くとも12時にはむこうに戻ってなきゃいけないわ。でないと、すごく面倒なことになっちゃうから。だってあなたは一日滞在許可証しか持っていないんだから」

東ベルリンの女の子って、ほんと難しい存在だったんだよ。

ぼくは行かなくちゃいけなかった。ずっと一緒に居続けたかったのに。

でも、きっと戻ってくるよ。

もしかしたら、いつの日にか面倒なしになるかもしれない。

でも、そのためには、これから長い時間かけて何かがなされなきゃだめだと思うけど。。

若い政治家たちがいつか事態をまともに戻してくれたらって願うよ。

だって、ぼくたちはただこうやつて一緒にいたいだけなんだから。

できるならもうちょっと。

できるならもうちょっと寄り添って。

ぼくたちは、ただ、一緒にいたいだけなんだ。

 

 

・・・・・・・・・・・・ 

 

 

散歩もままならない。

 この数ヶ月、創作の仕事が忙しく、ずっと机にかじりついてばかりいた。そのため、ストレスと、脳の活性化のためのおやつ、それに運動不足のトリプルパンチで、このまえ、体重計に乗ったら、人生最重量を記録してしまった。会う人に、「このごろ元気そうだね」などといわれて、「そうかな…」とうれしがっていたのだが、じつは「太ったんじゃない?」ということを暗に告げたかったらしい。
 自分の胴回りを見て、さすがにまずいなと思う。「パパのおなか、ぽよぽよしてて好き」といっていた次女も、心変わりしたようで、最近は、「これ、なんとかしたほうがいいよ」と冷たい。
 で、よし、ひそかにトレーニングしてやれ、あっというまに減量して、みんなにひきしまった体型を自慢してやるぞ…と、妄想をいだき、昔、やっていたダンベル体操用にダンベルを探してみたもののみつからない。
 いきなり挫折である。
 じゃ、歩くか、と考えて、いまは東京なので、家のまわりを散歩することにした。
 せっかくだから 多摩川が近く、そこに流れ込む支流にそって遊歩道もどきがあるので、そちらに足を伸ばしてみる。ふらふらと歩いていくと、頭の上を道路と交差する橋がある。そのたもとに、ノラネコが数匹たむろして、どこからかひきずってきたのか、コンビニの袋に顔をつかんでむしゃむしゃやっている。ときおりこちらをうさんくさそうに見あげ、ぐいっとのびをしてみせる。手をのばすと近寄ってくる。
 へへへ…と遊んでいると、
「エサはやらないでくたさい」
と、うしろからふたりづれのおばさんたちに声をかけられた。
「やってませんけど」
「なら、いいんですけど、ノラにそうやってエサやる人がいて、残飯にカラスもよってくるものだから…」
 おばさんは疑い深そうにいうと、そそくさとむこういった。同じ疑り深そうな目つきでも、ネコと違ってこちらは可愛くない。
 遠くでおばさんたちの声がきこえる。
「早期退職者かしら…? 浮浪者じゃないみたいだしね」
「わかんないわよ、ちかごろはふつうに見えても……」
 それって、ぼくのこと?
 まあ、平日の午後二時ごろにそんなとこでぼうっとしていたのだから、怪しまれたのかもしれないが、うーむ。
 親しい編集者に、早期退職って何歳ぐらいなの? ときいてみたら、近頃は五十代のはじめとかでもけっこういるという。
「もう引退するつもりなんですか? まだはやいんじゃない、やっぱり」
「じゃなくて…」
と、わけを話したら笑われた。
「ちゃんとウォーキングウェア着て、いかにもトレーニング中ですってアピールしていないとそのうち職務質問されますよ」
 職務質問か…それはされたことがないので、ちょっと興味がある。それにしても、散歩ぐらいすきにやらせてほしいものだ。

 

p.s.このエッセイはしばらく前に雑誌に掲載したものです。

コロナ禍のこの頃、また散歩を続けているけれど、昨日は多摩川のほとりで釣り糸を垂れている人がいたので、何が釣れるのか聞いたら、「鯉やボラだけど…」と言いながら、じつは「狙いはウナギなんです。でもあと2時間はして暗くならないと」とこっそり教えてもらった。どうやら食えるらしい…。多摩川のウナギはどんな味がするのだろう、すごく気になる。

©Jun Nasuda

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