ただほど恥ずかしい 子どものころから、ポスターとかちらしとか広告を眺めるのが、僕は好きだった。それは今も少しも変わらなくて、電車やバスの中吊り広告もまめに読むし、電柱や掲示板のポスターも立ち止まって読んだりする。 映画館や劇場とか、店や駅に無料で置いてあるような何かの宣伝用パンフレットとかも好きで、目に留まればもらってくるし、街角で、携帯電話の乗り換え募集とか、美容室とかレストランの案内などが配られていると、つい受取ってしまう。 時間つぶしに読むのにちょうど良いし、ただでもらう(→うれしい)というその行為じたいが好きなせいもあるのかもしれない。 「もう、用もないのにローンの案内なんてもらってこないでよ」 と、よく奥さんにも叱られている。 「でも、情報は物書きにとって大事だし、こういうのは人生の縮図みたいなもので、なにかしら見えてくるものなんだよ」 と一応、反論じみたことも言うが、あまり説得力はない。
| もっとも、もらってくるのは印刷物だけじゃなくて、モノも多い。 日本では繁華街を歩くと、あっというまに、ポケットティッシュがたまる。(ドイツで、あれはまだ一度も見たことがないので、ごく日本的なものなのだろう) ただ新装開店とか新製品などのキャンペーンがあると、ドイツでも、チラシとともにお菓子とか風船とかを配っている。つい先日も、スーパーでりんごをひとつもらったし、選挙前には、候補者の公約とともにバラを一輪もらった。ボールペンとかライターとかも、もらったことがある。 ただ調子に乗ってなんでももらおうとすると恥をかくのだが…。 あれは、もう数年前のことになるけれど、ボン市の商店街を奥さんと歩いていたときのことだ。前方で、若いキャンペーンガールが、「お試しくださーい」と声をかけながら、通行人に小さな箱のようなものをせっせっと配っていたので、さっそくもらいに行くと、 「あらっ?」 と、戸惑った顔をされた。
| そういうリアクションは予想してなかったので、なんとなくどぎまぎしながら、 「それ、もらえるの?」 と、きくと、 「はい、どーぞ」 と、今度はくすくす笑いながらくれたのである。 なんだよ、感じ悪いなあと思いつつも、戦利品はしっかりにぎりしめて戻り、奥さんに「ほらっ」とみせたら、一瞬の沈黙のあとで、大爆笑された。 「ちょっと、これ生理用品よ」 「えっ」 あんなに恥ずかしい思いをしたのは、まだ他にない。 それ以来、小さな箱が配られていたら、用心してなるべく近づかないようにしている。 (このエッセイは浜松百撰に掲載したもの。浜松百撰のご好意により再掲載させてもらっています。)
|