青熊ラジオ

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「ベルリン熊にささげるバラード」

 ベルリンは、チェコの国境を源にするシュプレー川畔に発達した都市である。橋の数ならヴェニスよりも多い。市の中心をとりまくように運河が流れ、夏季は遊覧船が行き来する。僕はこの遊覧船に乗るのが好きで、ときどき小さな船旅を楽しんでいる。デッキの上で一時間ほど風に吹かれ、それからたいていメルキッシェス岸で途中下船するのである。
 対岸には、映画『グッバイ・レーニン』でおなじみになった旧東ドイツ時代の象徴ともいうべきアレクサンダー広場のテレビ塔が、七十年代にはもてはやされたであろうアパート群の隣にぽっかりと浮かんで見える。
 その岸辺から石畳の小道に出ると、くすんだ赤さび色の古びた建物がある。メルキッシエ美術館だ。ケルニッシェ公園は、その美術館の裏手にある。緑の芝生がただ鮮やかなだけで、近所の老人たちがぶらりとやってきて日向ぼっこしているような、どこにでもあるこじんまりした公園である。この一角にベーレン・ツヴィンガーと呼ばれる施設がなければ、ガイドブックにも載ることもなかったにちがいない。
 ドイツ語でベーレンは熊のことで、ツヴィンガーは檻という意味だが、要塞や砦のこともさす。このツヴィンガーは、レンガ造りの小さな熊舎と事務所の建物を中心に堀をめぐらせた二つの円形広場があり、檻というより砦のほうに近い感じがするので、僕は「熊砦」と呼んでいる。
 今、ここにシュヌッテとマッキシー、ティロという三頭の熊が住んでいる。ただ公開時間でも熊舎で昼寝をしたりしているので、三頭いっぺんに会うのはなかなか難しい。たまに三頭に会えると「今日はラッキーだった」ということになる。

 

三頭はいずれもヨーロッパの動物園ならたいていどこにでもいるヒグマだが、じつはただの熊ではない。彼らこそ正しき「ベルリン熊」なのである。とくにオスのティロは、四代目ベルリン市代表熊にも選ばれている。
  ベルリンのシンボルは熊だ。市の紋章に初めて登場したのは1280年というからその歴史はきわめて古い。それ以降、今に至るまで(ベルリン映画祭のグランプリを「金熊賞」というぐらいだしね)、熊は旗やレリーフ、あるいは銅像となって市民に愛され続けてきた。だが生きている熊が、ベルリン熊として登場するのは1939年になってからである。
  ベルリンの生誕七百年祭にあたり、ひとりの男が自分たち市民への誕生プレゼントに生きた本物の熊がほしいと市長に宛てて手紙を書き、ベルリンの新聞BZ紙で公開した。これに多くの市民が賛同する。そしてBZ紙が中心になって、87000マルクもの募金を集め、それを基礎資金に熊砦を完成させ、さらにベルリン市とスイスの友好都市ベルンから援助も受けて、39年の8月17日にはロッテ、ユーレ、ウルス、ヴェルニの四頭が初代「ベルリン熊」として市民に披露されるのである。

「ようこそ、われらの熊ちゃん!」 
 
 市の新しい顔を、熱烈歓迎する市民たちの写真が、当時のBZ紙に踊っている。だが「ベルリン熊」たちの幸せは長く続かなかった。そのわずか二週間後に、ナチス率いるドイツ軍はポーランドに侵攻し、第二次大戦が始まるからだ。

 

そのあとの熊たちを襲った運命は悲惨である。熊たちは、市民たちの献身的な努力で餓死もせず、ベルリン大空襲を奇跡的に生き延びたものの、戦後まもなく起きた市民暴動の犠牲になって崩れた砦の瓦礫の下から遺体となって掘り起こされる。その後、熊砦はしばらく閉鎖され、49年の11月に、ナンテとイエテの二頭の熊が、砦の新しい住人になったときは、東ベルリンの熊としてであった。
 それから、壁の建築と崩壊、ドイツの再統一というベルリンが辿る人類史を語る上でもきわめて数奇な時間が、熊たちの上にも通り過ぎていった。もちろん熊たちにとって人間の歴史なんて、はっきりいってどうでもよかったろう。ただ迷惑なだけで……。
 でも、人間である僕は、どうしてもそこに思いをはせずにはいられないのだ。歴史というのは必然である。そしてその過去の延長線の上に、今の僕もいるのだから。
 

 夏草が匂う物憂げな昼下がり――。 

 

 堀のむこうでティロがもそもそとリンゴをかじっている。ウド・リンデンベルクの歌う少し昔に流行ったバラードが、ふと脳裏によぎって、僕は読みかけの本を置く。
 まだ東西の壁があった時代に、東ベルリンに遊びに出かけた西ベルリンの少年はひとりの少女に恋をする。だが、当時のビザは午前零時に失効するのである。少年は帰らなければならない。ちょっと切ない歌だ。

 ぼくらはもう少し一緒にいたかっただけなのに……


©Jun NASUDA